私の再生と復活の話(歯科編)最終話。
「歯の治療」
「ご飯を食べること」
「人間になること」をまとめた
「私の再生と復活の話【歯科編】」
歯科の治療と継続して
やり続けてもらってることがあった。
それが、夫の作り出す
「食卓」というものだった。
前の旦那さんがやり続け
それが岩手の家族が引き受け
夫にやってと言ってないのに、
夫は岩手の家族たちの目指す
「食事は悪ではなく楽しいもの。幸せなもの」
をまるで託されてるかのように
あたしに与え続けた。
ご飯を食べる時、どれだけ残しても許してくれて
泣き喚いて食卓のご飯を投げる時があっても
それと一緒にお皿が何枚も割れても
食卓の中であたしを責めて怒ることはなかった。
ご飯ができてるのに食べないと言っても
いきなりこれが食べたいとわがままも言っても
食卓の中であたしを責めて怒ることはなかった。
お作法を厳しく教わっているあたしは
無意識で綺麗に食べてしまう。
左手を使わないでご飯を食べてたら
「お前のことはもう犬と呼ぶからな」と言われた声が今も聞こえるからだ。
口を開けて食べていたら視界がいきなり変わってしまうほどの衝撃で
叩かれたことを思い出すからだ。
お味噌汁を音を出して飲んだらテレビの音をかき消すほどの
怒鳴り声が今も耳について離れないからだ。
どんどん口の中のご飯の味が砂のようになんの味もしなくなる。
それを今でも忘れれないから
あたしはつい綺麗に食べてしまう。
けど、夫はそんな小さなことを褒めてくれた。
「君は食べ方が本当に綺麗だ」
「君は所作の音がしない。所作が綺麗だ」
そう何度も何度も褒めてくれた。
あたしの育った家庭ではできて当たり前のこと。
誰も褒めてくれないこと。
けど、あたしが地獄の日々の中で身につけた
血の滲む努力の結果を
夫は惜しみなく褒めてくれた。
嬉しかった。
そして、あたしは、今だから書きますが、
脚が長いので、ちゃぶ台の高さが正座をしてもちぐはぐで合わない。
だから正座をし続けることがしんどい。
根性で5時間とか耐えてきたけど、
体というのは「痛み」を感じるとそれを避けるように動く。
つい、あたしは脚を立てて座ってしまう。
そこをすごく怒られていたけど、
夫はそれも怒らなかった。
お箸で食べるものを、フォークで食べる。
ご飯の白いところを汚して食べてみる。
三角食べをしないでいる。
お箸で小鉢を寄せてみる。
こぼしたものを拾わないでいる。
怖くてできなかったことをあたしは意識してするようにした。
それでも夫は目の前で何か笑いながら話している。
あたしは、食卓の中に自由があると知った。
どんな食べ方をしても
目の前の人はあたしを嫌いにならない。
目の前の人は不愉快そうな顔をしない。
お味噌汁の音を立ててるのに
目の前の人のご飯を横取りしてるのに
ニコニコしている。
食べてる途中で眠たくなっても寝かせてくれる。
あたしは、これが欲しかった。
あたしは、ご飯を好きなように好きなだけ好きな時に
笑いながら食べれる環境が欲しかった。
口の中にご飯が入ってても笑っていい。
大声で口を開けて笑ってもいい
それでもご飯を食べてもいい。
これが欲しかった。
欲しかったのだ。
「あたたかいごはん」を食べたかった。
「あたたかいごはん」を一緒に食べてくれる人が
環境が欲しかった。
どこにもいかない。
あたしを包んでくれる
「あたたかいごはん」という
漫画の世界にしかないと思ってた
この「自由」が欲しかったのだ。
ご飯は砂の味はしなかった。
血の味もしなかった。
口の中で胃液が居続けることもなかった。
何気ないこと。
ちっぽけなこと。
あまりにも当たり前すぎておかしすぎること。
けど、あたしには
このちっぽけすぎる当たり前が
人生の中でなかった。
それを夫は出会った時から今もずっとやり続けてくれてる。
あたしは
「人間」という尊厳がなかった。
だから
「人並み」の意味もわからなかった。
「普通」のことがわからなかったしできなかった。
どこかみんなが遠い違う生き物に思えた。
みんなと「同じ人間」というものになってみたかった。
トイレも食事もお風呂も
あたしの過ごしてきた幼少期はあまりにも
「人間」の生活からかけ離れてる。
あの熱すぎる熱湯のお風呂に身体を合わせるしかなく
食べれない量を詰め込むしかなく
自由に飲める水はトイレの水だけで
感覚を殺さなければあたしは生きてこれなかった。
少しずつ痛みがなくなっていき
体が緩んで筋肉が必要な時だけちゃんと強張る。
噛み合わせが新しくなり噛めなかったお肉が噛めるようになっていき
食べれるものが増えたおかげで
臓器も作り変わっていき
両耳で音を生まれて初めて聞いて
夜になったら眠る日々。
あたしは、生きることは本来こんなにも楽なんだと初めて知った。
風邪をひいたら風邪薬で治る。
どこも痛くない。
体が楽だと、心が楽なんだと初めて知った。
息がこんなにしやすいなんて
知らなかった。
あたしは、
「人間らしい生活」を手に入れていた。
周りと同じ
ということが欲しかった。
あたしだけ異質でおかしいではなくて
みんなと一緒になりたかった。
そしてあたしはそれになれていた。
30年もあたしは動いてなかった時計を
動かし始めれていた。
あの時、あの閉鎖病棟の主治医の言った言葉。
「嘘で塗り固められた君を壊して本当の君になろう」
それをよく思い出す。
本当にたくさんの嘘で塗り固めていた。
「あたし」だと思っていたものはほとんどが嘘だった。
あたしの知らない「あたし」に毎日出逢う。
たくさんの嘘で
あたしは人生を生きていた。
今ここで言える。
あたしはずっと「あたし」のことを一番知りたかった。
誰も教えてくれないと言ってたけど
これすら嘘だ。
こんなにもたくさんの人があたしに
「あたし」というものを教えてくれる。
あたしはずっと、ずっと探してた。
「あたし」という存在を。
だからいつも言う。
「あたしは幸せ」だと。
歯の治療が始まったことで、
あたしは多くのものをプレゼントしてもらえた。
そしてそれは
「食べれるあたし」と「幸せな食卓」の夢を叶えてもらった。
みんなに。
今年の3月、最後の前歯をつけた。
がっくんと技師さんが丹精込めて作った前歯。
あたしは泣けなかった。
実感がまだ薄いからだ。
夢を見てる気がするからだ。
けど、がっくんは嬉しそうだった。
一番最初のあたしの歯の写真を持っていた。
2016年の12月から始まった歯科治療は
3年の月日が経っていた。
がっくんは独立して院長先生になって
インプラントを世界初MRで治療できるようにした。
日本人で初のノーベルガイドの200本を超えるオペをし
インプラントの論文発表をアメリカで行なっていた。
あたしは結婚をして、妊娠をし、長女を産んだ。
長い長い時間がかかった。
けど、がっくんの言った通り本当に終わりが来た。
あの時は夫がいないとこれなかった病院も
今では片道1時間を電車に乗って一人でこれるようになった。
歯医者恐怖はなくなっていた。
そして、夕方、家に帰ってきた夫が一番泣いていた。
あたしは、今、ちゃんと生きてる。
こんなにも笑って生きている。
人生という旅の中で起きたマイナスにしか聞こえない
「虐待」というもの。
けれど、真逆の見方をした時に
「虐待」という名のスパイスがなかったら
私はこんなにもたくさんの人に出会えなかっただろう。
チャレンジを繰り返し
沢山の感動をみんなからもらえなかっただろう。
それは、「虐待のない家庭」がダメなんだと勿論言いたいんじゃない。
それが一番だろう。
しかし、こういう「マイナス」にしか見えない家庭環境であっても
自分が主体的になり、自分の人生の舵を取り直すと
「あれがあって良かった。だってこんなにも鮮やかな人生なんだから」
という逆転の発想になれる。
私は問いたい。
「本当に虐待を受けた子供は可哀想なのか?」と。
「本当に虐待を受けた子供は大人になった時不幸になるのか?」と。
誰が決めたのだ。そんなつまらない物差し。
そんな物差しに縛られる必要はない。
そんな身勝手な常識に振り回されなくていい。
そんなものに振り回されるぐらいなら
自分の人生を自分で生き、そこに責任を取ればいいじゃないか。
年齢なんて関係ない。
責任の取り方もわかっていない私は今だに多くの人から学び
勉強中だ。
「虐待」であろうがなかろうが
苦しいと感じた過去の出来事をどうか消そうと必死にならないで欲しい。
だってそれを含めて人間というのは美しいのだ。
マイナスであったものはちゃんとそれを含めて
「完璧な存在」
として今全ての人は生きている。
その生きてる姿に「善悪」などないだろう。