私の再生と復活の話【歯科編】
さてどうしても書きたい内容がある。
「消費者」という「投資者」のことを書きたい。
・・・・のだが。
その記事を書くには前段階のものを提示しなければ
結局言いたいことが伝わらない文章になる。
で、私が自分のfacebookの中でこっそりと書いた記事を持ってきた。
まぁ、怖くてたまらないけども、公開しようと思う。
「怖さ」と対峙した結果
未来で誰かのために何かになるならいいじゃないか。
そう思ったからだ。
そしてこれを読んで
「こんな人もいるんだ。じゃああたしも怖くてもチャレンジしてみよう」
と思い行動に移せる何かであれるのなら
これ以上ない幸せだ。
では。どうぞ。
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長年あたしは口を開けて笑うことができなかった。
拒食症で吐き続けて胃液で歯が溶けていたからだ。
そして、幼少期から食卓で残すことが許されなかった為
隠れてトイレで吐くことをし続けたからだ。
あれは覚えてる限りで8歳の時にはトイレで吐いていた。
無理やりお腹に入れてトイレで吐く。
けどそれが見つかって怒られ、次に取った行動が、
吐いたものが口の中に戻って来てもそれを飲み込むという行動をとるしかなかった。
口の中に胃液が常にある状態だった。
そのまま19歳で拒食症になり吐く行動に拍車がかかった。
そして過食嘔吐になり、そこから次に飢餓状態になった。
飢餓状態のことはどこにも書かなかった。
あれは人間の姿ではないからだ。
極限まで空腹になると、食べれるものだと判断した瞬間にそこにかぶりつく。
その時両手などは使わない。そんな余裕はない。
四つん這いになって顔ごと食料につけて食べる。
冷めてるとか熱いとか、
人間でいう「美味しそう」という感覚もない。
胃に入り、死に至らないものは食べる。
この感覚だからだ。
これは人間の姿ではない。
「食べる」ということに意識が向いてなかった。
本当はすごく食べることが好きなのに、
「食べない」ことが一番幸せだった。
理由は、食べなかったら吐くこともない。怒られることもない。
歯を使わなくていいから歯がこれ以上悪くなることもない。
だからあたしは、
いかに歯を使わなくて吐かない程度に胃に最低限入るか。
ということが最優先だった。
そこに味や見た目が美味しいなどいらなかった。
あたしは食べることが好きだった。好きで好きで仕方ない子供だった。
たくさん食べたい。
けど、あたしは胃が小さいから少量しか入らない。
けど、すぐに消費するからすぐにお腹が減る。
ので食べたいという子供だった。
お腹が減ったという割には全部食べれない。
けどすぐにお腹をすかす。
自分のこの特性に気がついたのは去年だ。
今あたしは1日に最低5食食べる。とにかく動く量が半端ないからだ。
この特性は確かに親という役割の「父」「母」からしたら訳がわからないだろう。
どう思ったかは知らないが、
言えることは一つだけで
彼らとは違う体の作りなのだ。
彼らがたくさん胃に入りなかなかすぐにお腹の減らない体でもあたしは全く違うのだ。
こういう経緯があり、あたしはとんでもない歯と口腔内に仕上がった。
しかもそこから歯を磨いても追いつかないスピードで歯が悪くなる。
どんだけ磨いても歯医者で怒られる。
歯磨きが億劫になっていった。
さらに長男を産んだ後に歯を磨くたびに、ものすごい量で歯茎から出血した。
あまりの出血量にあたしは怖くなった。
怖くて怖くて仕方なかった。
けど誰も教えてくれない。
そこからあたしは磨けなくなった。
そしてあたしは歯医者恐怖症になった。
歯医者に行っても怒られる。しかも異常に痛い。
歯に関して救いがなかった。
「食」に興味のなかったあたしは料理も嫌いだった。
しかも子供の時から実家で作れと言われて作ると、ものすごい非難をされて残されるからもう一つ嫌いになった。
けど、長男がお腹に来た時に革命の一つ目が起きた。
「ただでさえ薬漬けの体だからせめて良いものを作ってお腹に入れてあげたい」
そう思うようになって台所に立つ毎日が始まった。
あたしはハマったら最後。とことんやる。
しかも子供にできるだけ食べてもらうことを考えるから
更に見た目や色合いを考える。
子供たちが0歳と2歳の時には十分な料理が作れる腕前になっていたし」、人からも美味しいと言われるようになっていた。
というよりか、
あたしの、ばあちゃんは調理師で介護士なので、家政婦としてご老人たちの食事を作っていたし
あたしの実の父は、寿司職人なのだ。
実の父は手先が異様に器用なのだ。
だから元々できたんだと思う。
感覚が優れてるあたしは味付けが一番得意だし、味付けで困ったことがない。
そういう風に子供たちを育てていて、あたしは自分の食をする
「口の中」というものに興味が出始めていた。
2015年の時には歯は写真の通りになっていて
あたしは総入れ歯にしようと思っていた。
けど、2016年に岩手に行き岩手の家族と暮らしだした時に二つ目の革命を
岩手の家族は起こしてくれた。
前の主人と結婚したばかりの時にあたしは彼にあることをお願いしていた。
それが
「ご飯を残してみたい。残しても怒らないでほしい」というもので、彼はそれを許してくれた。
そして一緒にいたあの7年間あたしが残したご飯を必ず食べてくれた。
その安心感を彼は岩手の家族に託していた。
お姉ちゃんに残すことを話し、そして当時どうしてもあたしがお肉を食べれないことも伝えてくれていた。
更にお姉ちゃんはこの話をお父さんとお母さんに伝えた。
岩手の家族は
「頑として、あやかちゃんが食べたくないものを強要しない」ということをし続けてくれた。
更に、あたしは子供たちが食べるものにはお肉を入れる。
けれどお肉の知識もないし、食べれて鶏肉だけのあたしに
お父さんは岩手産の鶏肉を用意し、
「あやかちゃん、カレーライスにミンチ肉を入れるんだ。こうやってつみれ状にできるんだ」と教えて食べさしてくれた。
美味しかった。
岩手のお父さんは焼き鳥屋さんを経営してる。
そして岩手のお父さんも調理師なのだ。
(お姉ちゃんも調理師)
どうやったら食べやすくなって恐怖心を刺激しないでいるか
ということに岩手の家族は前の旦那さん含め
総出であたしに「食べることが悪ではない」と教え続けてくれた。
そして岩手をでて旅が始まり、今の夫に出会った。
夫は歯磨きが趣味だった。
歯磨き好きの人間の前に歯がボロボロのあたしが現れたのだ。
夫の何かに火をつけた。
あたしの長年の
「もし夢が叶うならインプラントにしたい」というものを
叶えさせてくれと言いだした。
たくさんの人の優しさと不思議な奇跡が、不思議な縁とともに
「歯を治すこと」「食事をすること」
「食卓は幸せで楽しいもの」という夢が叶う時に向かって加速した時だった。
上が治療前のもの。
下が治療後の今のもの。