私が「私の身体を大事にしよう」と思ったとき。
長い事、ブログが放ったらかしになっています・・。
嵐のように、日々色んなことが起きています。
(未だその中)
とにかく嵐が過ぎ去りポカポカの春を耐え忍んで待つ。
という感じでおります。
(なんて抽象的な表現なんだ・・!!)
世間ではコロナのことで大騒ぎになっていますね。
いろんなアーティストや活動なさってる方の公演中止や延期の報告がありますが
どの方にとってもベストな状態になることを祈ってます。
(例え嵐の中でも祈ることはできる)
当時2歳の長男が0歳の次男のオムツを変えているところ。慌ててカメラを構えた私
さて、タイトルのことです。
まぁ、私のような家庭で育った人間って結構、自分の身体を大事に出来ない
または
その方法が分からないという方が多いんですよね。
これは簡単にいうと、
「自分の身体のことを理解してない」という状態なんですよね。
理解してる人は、本当に自分の身体の得意不得意をよくご存じです。
で、大事にできないと、簡単に自分の体を蔑ろにしちゃいます。
過去の私はそうでした。
蔑ろ以外の何者でもありませんでした。
左腕の傷痕の凄さと言ったら引きます。
身体中に剃刀の刃を当てて切り刻んでましたし、
人間が飲める量を超えるだけ大量服用してきました。
(100錠とか200錠とかじゃないもっと上をいく数)
そういう自分を痛めつける行為に終止符をうった出来事があ
りました。
それが、前の夫のお母さんです。
簡単にいうと、前の嫁ぎ先のお姑さんです。
表記を正しくすると
お義母さんです。
岩手のお家では、お義父さんは焼き鳥屋さんをしています。
(お父さんと表記したいけど最近混乱するという言葉をいただくので敢えてこの表記にしています)
お義父さんの焼き鳥の調理器具とかたくさんお家にあるわけなんです。
そこに当時7歳と5歳の長男次男は
「〇〇ごっこ」とかでもしてよくぶつかってたんですね。
するとお義母さんは
「じぃじの仕事道具が壊れちゃうでしょ?!」
「そんなに暴れるなら外に行ってこーい!」
とよく言ってたんですね。
お義母さんはお義父さんの道具をとても大事にしていたし
私もそれを見てたし、聞いてたし、
お義父さんの仕込みの姿も毎日見ていたから
私にとっても、その調理器具は「大事なもの」だったんです。
ある日、子供たちが学校と幼稚園に行ってほっとひと息つこうかと
台所に行こうとしたら、
鈍臭い私は物の見事に、調理器具に足をぶつけたんです。
「ガチャーーン!」という音を立てて。
痛くて蹲る私に、お義母さんは飛んできました。
「なんの音だーー!」と。
咄嗟に私は蹲りながらこう言ってしまったんです。
「ごめんさい!調理器具は大丈夫だから!」と。
するとお義母さんは
「そんなことどうでもいい!彩花ちゃんぶつけたのか?!大丈夫か!?怪我はないか?!」
と言ったんです。
え?と思って
「あ・・・うん。足ぶつけちゃって・・・ごめんなさい・・」と
弱々しく答えたら
「彩花ちゃんの足が無事だったらそれでいいんだ・・・はぁよかった」
とお義母さんはほっとした顔で私にそう言いました。
私はびっくりして
「え?お義母さん、お義父さんの器具大事なんでしょ?器具の心配はしないの?」
と聞いたら
「何言ってるんだ。そんなのはいつでも交換できる。でも彩花ちゃんの足や身体は交換できないじゃないか。彩花ちゃんの身体の方が大事なんだ」
ときっぱりと答えました。
私はそのとき、思わず泣いてしまいました。
そしてその瞬間、過去に親が私に言ってた言葉が蘇りました。
「扉が壊れたらどうしてくれるねん?!」
「お前の体なんてどうでもいいわ!弁償しろよ!」
「怪我した?そんなしょうもないこと報告してくんなや!」
こういう言葉を私はずっと浴びていたんだと真から理解したときでした。
あぁ、これじゃあ私が私の身体を大事にしないわ。
だって親が私の身体を大事にしてないもん。
でも
岩手のお義母さんのように
親が子供の身体を大事にしている人は
子供は自分の身体を大事にするんだな・・・。
だって、私は今、こんなにも自分の身体が愛おしいもん。
お義母さんが撫でてくれるこの膝が愛おしいもん。
これが
「私はこれから先、ずっと自分の身体を大事にしよう」
と思った出来事でした。
それからはできるだけ、転けないように、ぶつけないように
この体に怪我一つないように努めました。
自分の身体の事なんてどうでもよかった時は、足とか腕とか青痰だらけだったのですが
今では、あまり見かけなくなりました。
自分の身体を大事に過ごしています。
そしたら身体の声にも敏感になれました。
理由は、岩手のお義母さんが私の身体を大事にしてくれていたからです。
私の身体も、私の心も、私というもの全部を大事にしてくれたからです。
大事にする方法を
お義母さんが私の身体を大事にすることで
子である私は学んでいました。
それは
私が私のことを大事にすることで
自然と
私がお義母さんを大事にしているんだと思います。
「彩花ちゃんのことが大好きだ」
「彩花ちゃんのことが大事なんだ」と
言葉にし、そして行動としてもそれをずっと私にくれていたから
私は、自分のことが大事にできるようになったんだと思います。
自分を大事にする
とういうものは
「私のことを私以上に大事にしてくれている人がいる」と知ったときに
できるんだと思います。