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日本赤十字社大阪府支部が育てた子供。

「どうしてそんな環境にいたのに犯罪者にならなかったの?」
今日までよく言われた言葉だ。

今なら答えられる。

「家」以外の教育という環境を与えてくれる場所が
私の場合はもう一つあったからだ。

それが、
日本赤十字社大阪府支部だ。

ここは私にとっていつでも帰れる場所だ。
もちろん今も。

今からここに書くことは
「ちょっとはオブラートに包めーー」と言われたとしても
包まない。
全部を書く。
ただ頭の中でずっとぐるぐる回ってる文字をそのまま出す。
文脈も文章構成も何もせずに書く。
だから途中で何が言いたいかよくわからんくなったとしても
読める方だけが進んでくれたらと思う。

始まりはとても単純なことだった。

お母さんが
「彩花、あんたの通ってる中学校ではこういう赤十字のことしてるんやって。
校長先生がしてはるねんて。
(母は私の母校の第1期生。そして母の当時の担任が不思議なことに私が入学した時に校長先生だった。ちなみに私は21期生です。)
で、あんたの学校ではこの赤十字のなんかができるみたいやねん。
してみたら?」

と言ってきた。

即答で答えた。
「嫌や」
何度言われても
「嫌や。なんでボランティアなんかしなあかんの?嫌や」
この返事だけを私は言い続けた。

けど、おかんがなんか知らんけどずっというてくる。
「青少年赤十字言うねん。してみたら?案外楽しいかもしれへんで?やってみなわからんやん」
「夏休みに合宿があるねんて行ってみたら?」

なんでそんな堅苦しいことしなあかんねん。
なんで自分の身を削らなあかんねん。
そんなもんは余裕のある人がするもんや。
でも、あんまりにも言うてくる。
珍しくしつこい。
ある意味でこんなにも珍しくしつこい。
そらおかんが、医療とか命とか看護とか介護とか好きなんは知ってるよ。
でも、私全く興味ない。

唸った。
自分の部屋で唸った。

そして答えは
「わかった。一回だけやで。やってみるわ。」
だった。

後にこれが私の人生を大きく変えることになるとは
その時誰も思わなかった。
そして私が一番思わなかった。

なんで、夏休みに行かなあかんねんやろう。
なんで夏休みにこんな意味わからないことしようとしてるんやろう。
そう思いながら当日私は大阪の南海難波駅に
大荷物で立ち尽くしていた。

この時、私は13歳の中学生になったばかりだった。

当時はこの難波駅が集合場所で
合宿所は滋賀県の栗東という山奥にあった。
バスに乗ってバスの中でビデオ(死語)が流れていた。

赤十字の創設の歴史の話だった。

私は釘付けになった。
私の知らない世界が話されている。
あのビデオから流れている物語は私が知っていることがどこにもなかった。
そしてその物語が、現実に起きていたということに
私は目と耳が離せなかった。

赤十字とは、たった一人の男が医療の知識も何もないのに、
起こしたことだ。

たった一人で、戦争で傷ついた兵士達に、
自国も他国も関係なしに三日三晩徹夜で看病をした。
その数9000人。

当時は戦時中、自分の国だけをひたすら応援し、他国を攻める。
傷つき、腕を失っても足を失ってもそれでもなお、
目の前で倒れている「人間」が他国のものであるならば、
残ってる歯で首元を噛みつきにかかる兵士たち。
使えるものを全部使って
目の前の「人間」が他国のものならば
ひたすら殺していく。
例え、自分が傷だらけで下半身がなくなっていたとしても。
残った両手と両腕を使って、銃を撃つ。

自国の「人間」を守るために
他国の「人間」を殺す。

それを見ている「人間」もそれが当然と受け止めていた。

その溢れかえる自国と他国が混ざったところに
「自国」と「他国」という差をつけなかったのが
この男だ。
彼が見ていたのはただそこにある「人間」ということだけ。
「命」ということだけ。
彼の懸命な姿を見ていた婦人達が最初は傍観していただけだったが、
彼の訴えかけに一人また一人と答え、
傷口を洗い、包帯を巻き、寝場所を与え、水を与え、
差別することなく与え続けた。
彼の白い服は赤黒い血で染まった。

場所はイタリアのソルフェリーノの近くカスティリオーネ。
男はスイスのジュネーブに帰ってからこの出来事がどうしても忘れられずに
自費出版で3年の月日をかけ本にした。
「ソルフェリーノの思い出」というタイトルで。

その中の文章にこう出てくる。

「無事で平穏な時代から、戦争の時負傷兵を看護するための救護団体を、
熱心で献身的なボランティア達の手で組織しておく方法がないのものか。
いずれ遠くない将来において、戦争は避けがたいと思うので
人道とキリスト教という二つの見地から
この重要な問題を研究すべきだ。
このヨーロッパ各国における<負傷兵救護団体>の設立の根拠となるような
国際的に神聖な協約として
一つの原則が承認を受けて、各国が批推されれば
<負傷兵救護団体>の根拠として役に立つのではないだろうか。
一度、戦争が始まってしまえば、交戦者はお互いに悪意を持ち
色々な問題を自国民のためという観点でしか扱わないようになる。
前もって協定をし手段を講じておくことが大切である。」

と。

これが多くの賛同の声を呼び
この男の母国スイスの国旗の赤字に白のクロスを逆にして
白地に赤のクロス
「赤十字社」となった。

現在、加盟国は191国

この運動の嵐の目となり
そして創設者のこの男の名が
アンリー・デュナン

「たった一人で起こした行動が誰かの何かになる」
そこに広がっている世界は
私の知ってる真逆のものだった。

「世界なんて変わらない。変えれない。それが世の常である」
そう信じてきた私の世界が崩壊した時だった。
13歳の私の知ってる全ての世界が崩壊した。

それは衝撃を超えた。

これが当時私が初めて参加した1998年の合宿の始まりの風景だ。

ここで私の育ての親となる二人の方と出会う事となる。

安原武志氏(現・兵庫県血液センター部長)
森正尚氏(現・大阪府支部青少年・ボランティア課 課長)

この二人だ。

鉄砲水の様に後先考えずに走り、行動し、考えもなしに発言をする私に
「人間とは何か」と教え続けることになるとは
この時はお二方も想像もしていなかっただろう。

私もだ。

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