手から はなれる 時
こんにちは。
執筆が終わり、次に
以前友達のヒカルに頼まれていた絵を次の工程に移すことになりました。
この絵を入れる額縁の世界観がなかなか見えなくてピンとこなかったんだけど、
いきなりピンときたので
早速走った。
美術のことなら美術専門に聞いたらと思い、
画材屋さんは画材屋さんでも
家の近くに
「京都精華大学」があるのでそこに来ました。
そうです。
美術の大学です。
絵を描く、作品を作る、という人間にとって額縁は大事なので
こういう大学には至って普通に額縁に拘れます。
何より学生のためにある画材屋さんだから安いのだ!
で、画材屋さんと話し合い。
額縁に入れる時に、全てが透明でいて欲しい。
この絵がどこにも触れていない状態で・・・
と絵を描いて説明。
さすが美大の画材屋さん。話が早い。
先方「そしたら、アクリルの版が二面ということになりますよね。
さて、どうやってくっつけるかな・・・」
と先方と私で頭抱える。
あれこれと話し合い、方針が決まり、
ヒカルの絵は京都精華大学の画材屋さんの元に行きました。
「お預かりします。大切に作業に移らせてもらいます」と
言われ、
私の手から離れました。
感慨深くて思わず
「ごめん。泣きそうだから最後に写真撮ってもいいですか?」
と言ったら
「どうぞどうぞ」と言ってもらえたので
お言葉に甘えて写真に納めさせてもらいました。
額縁の中で浮いている絵になるために。
このこだわりのために
沢山の人が力を貸してくれてありがたい限りです。
芸術家やクリエイトする人間たちが
芸術やクリエイティブで食べていけたり、お金をもらえたりすることって
すごく難しい。
それになれていたんだと、
なりたい姿に私はなっていたんだと、
ようやく気づいて、大学の中で泣きそうな気持ちを堪えて今このブログを書いてます。
・・・・・・絵が巣立つ時。
学生の頃、美専の講義の後に先生に言われた言葉がある。
スケッチブックを提出しろと言われて
授業も聞かずに落書きしかしてなかったので焦りながら提出した。
そして個人で話し合う時に、
「・・・・お前な・・・聞きたいことあるねんけど、この落書きの絵、産みの親は誰や?お前か?」
と言われ、コクンと頷いたら
「普段この絵ってどうしてんねん?どこに保存してる?」
と聞かれ
「・・・・・・ほとんどあげてるから手元には残ってないです・・」
と答えたら
「え?!原画のまま?!なんで原画渡すねん!原画だけは渡すな!あげてもいいけどコピーをしろ!複製しろ!無料で原画のまま渡したらあかん!絵の価値を産みのお前が無くしてどうすんねん!絵が泣くぞ!」
と言われたあの言葉を思い出す。
それから原画だけは残した。
あげずにいた。
17年ぶりに
原画のまま、私の手から離れる。
あの時の先生の言葉の意味がやっと理解できた。
こんな気持ちになるんだと。
先生、私は今でも絵を描いてます。
あの時先生が言った
「キャラクターデザインの道にいけ」と言われた通り、
私はキャラクターデザインを描いて、その絵を欲しいと言われました。
学校、途中でやめたけど、
私は今でも絵を描いてます。
中学の卒業式、
美術部の顧問が泣きながら私に
「お願い。どんな道に行っても絵を描き続けて。どんなことがあっても絵だけは描き続けて」と言ってくれました。
先生、私は描いてるよ。
先生の言葉に背中を押されて描いてるよ。
中学、夜間高校の美術部の顧問に
中之島美術学院の先生たち。
右手がダメになっても作り続けてよかったです。
その果てに
私の右手は生き返って、絵が描けて
そして絵が産まれました。
震える手でも描き続けてよかった。
完成まであと2週間。